おかし工房 木村屋 様

未来の子どもたちや若い世代が、エネルギーに関心を持ち、楽しみながら陸前高田で暮らす。 そんな未来の風景を、私も心から見てみたいと思っています。

おかし工房木村屋は、昭和元年(1926年)に気仙町で和菓子専門店の「御菓子司木村屋」として創業しました。2011年の東日本大震災で被災しましたが、翌年に仮設店舗で営業を再開。和菓子に加え洋菓子も手がけるようになり、復興の願いを込めた看板商品「夢の樹バウム」が誕生しました。木の年輪のように一歩ずつ積み重ねていく思いを込め、素材の味を大切に、素朴でやさしい味わいを届けています。お菓子を通じて人と人をつなぎ、地域と共に笑顔を育む存在として歩み続ける木村屋。創業100年を迎える今も、「地元に愛され、世代を超えて懐かしさを感じてもらえる店」であり続けることを目指しています。

今回、この100年の節目を迎えるにあたり、3代目の木村昌之さんと、店長をつとめる息子の洋平さんにお話しを伺いました。

地域とともに歩んだ100年

木村屋のルーツは、初代が宮城県志津川から陸前高田に移り住み、お店を始めたことから始まります。そして、事業の基礎を築き、大きく拡大したのは二代目である昌之さんのお父様でした。様々な新商品を作り、そして何より地域の活動にも積極的に参加していたそうです。

「まずは、おかげさまで100年続きました。と初代と二代目に感謝の気持ちを伝えたいですね。地域に深く溶け込んでくれたおかげで、私たちはとてもやりやすかったです」と昌之さんは話します。

震災前、木村屋は地域の暮らしに根ざした「地域菓子」を中心とした和菓子が主力商品でした。売上の7割を和菓子が占め、特に「ゆべし」や「がんづき」といった家庭のお菓子が売り上げの半分を占めていました。

婚礼などの引き出物として定番であり、「何かあったら、お菓子は木村屋さんに」という、地域密着を象徴する強い繋がりがあったのです。

がれきの街に、赤いオーブンと笑顔を‐夢の樹バウムに復興の想いを重ねて

東日本大震災で店舗は被災し、木村屋は一時廃業も頭をよぎる状況でした。しかし、避難生活を送るお客様から「また木村屋のお菓子が食べたい」という声が多く寄せられ、その想いに動かされて再建を決意します。

震災後の店舗再建にあたり、昌之さんが目指したのは「復興のシンボル」となるようなお菓子でした。

「バウムクーヘンは、一枚一枚が木の年輪のように積み重ねていくお菓子。その姿が、復興への道のりにリンクしていたのと、陸前高田のシンボル『奇跡の一本松』の切り株のイメージにもぴったりだと思いました」

昌之さんは、2011年6月に東京で開催された機械の展示会へ向かい、バウムクーヘン専門のオーブンメーカーと出会います。この積極的な行動が、後の「夢の樹バウム」の誕生へと繋がりました。

導入したオーブンは、赤色。 「赤は幸せを呼ぶ色。街ががれきの山だった当時に、赤い色がみんなに元気を与えるのではないかと考え、お店のカラーも赤にしました」 苦労の末、2012年5月4日に仮設店舗をオープンします。

震災が教えてくれた、お菓子の本当の価値

昌之さんが震災後に再建を決意した背景には、お菓子の本質的な価値への再認識がありました。

震災直後、ボランティアで支援物資を配っていた昌之さん。米や肉といった生活必需品の支援物資が落ち着くと、人は音楽や本、そしてお菓子といった「何か別なもの」を欲しがるようになる。と昌之さんはこの時の経験を語ります。

「今まで支援物資は『ありがとう』で終わっていました。でも、お菓子を配ると、『これどこのお菓子?』『どんな味がするの?』などと、もっと会話が続くんです。その時、『人と人との間にお菓子があると、場が和やかになり、会話が生まれる』と再認識したんです。人が人として生きるためには、心を豊かにする嗜好品は絶対必要であり、人間らしく生きるために必要なものだと、震災後に改めて感じました」

日々の仕事に追われ、お菓子をつくることに終始していた昌之さんが、お菓子の持つ力を忘れていたと気づいた瞬間でした。

祖母から受け継ぐ「喜びを届ける」精神

洋平さんが家業を継ぐ決断をした背景にも、地域との強い絆がありました。洋平さんは「木村屋として続けてこれたというより、続けさせてもらったというイメージが強い」と話します。

木村屋では、従業員を含め皆が「お客さまがどうしたら喜んでくれるか」を一番の軸にして考えており、これが代々引き継がれている大きな部分です。

この「喜んでもらう」精神の象徴が、洋平さんの祖母である木村高子さんです。高子さんは「看板娘」「歩く木村屋」と呼ばれ、地域との関わりを何よりも大切にしていました。

「地域との関わりを大事にする人だったので、産業祭りや地域のイベントにも積極的に参加していました。祭事やいろんなタイミングで『木村屋さんは必要だよね』と言ってもらえるような存在になれたのは、おばあちゃんの存在も大きいですね」と洋平さんは話します。

売上や利益よりも、喜んでもらうことが好きだった高子さんは、お客様へお菓子をサービスすることもしょっちゅうでした。販売する商品の半分をあげてしまうこともありましたが、それが後の繋がりを生む「種まき」となっていました。

陸前高田を想う人のために

洋平さんが描く未来は、店を大きくすることではなく、「地域を今まで通り、大事にしていきたい」というシンプルなものです。

「これまでずっと支えられてきたのは、地元の皆さんをはじめ、遠く離れた場所や全国各地から陸前高田を想ってくださる多くの方々のおかげです。今では、昔懐かしい「ゆべし」を覚えている世代のお客様もいれば、今の「バームクーヘン」を懐かしい味として受け継いでくれる世代の方々もいます。これからも、陸前高田を想ってくれる人たちのために、ずっとここにあり続けたいと思っています」

昌之さんが即決した、しみんエネルギー契約第1号となった理由とは?

会長の小出さんがワタミの事業の一環で陸前高田にきていた時、会議などで顔を合わせることが多かったです。小出さんから『私と話すとほっとする。陸前高田のオアシス』と言ってもらって。それから、忙しい合間にも『5分だけ』と言って、ふらっとお店に寄ってくれるんです。新しく電気の事業を始めると聞いたとき、『では、私が第1号として契約しますから!』と伝えていました。小出さんがあつい想いをもって、陸前高田で事業をはじめるなら、何かお手伝いしたいという気持ちで、一番最初に契約しようと決めていました。

今は、洋平が企業家同友会で一緒だった社長の大林さんたちと交流があるようで。
これからは若い世代が、人とのつながりを大切にしながら、この街の未来をつくっていってほしいと思いますね。

洋平さんから、しみんエネルギーへ期待すること

特に大林さんとは、同友会を通じて半年間、一緒に経営理念をつくりながら励まし合ってきた仲です。

未来の子どもたちや若い世代がエネルギーの恩恵を受けて、より豊かに暮らせること。
そして、エネルギーの仕組みを理解しながら、子どもたちが楽しそうにその話をしているような日常が、大林さんが描く未来です。少しでも実現できればいいなと思っています。

エネルギーに関心を持ち、楽しみながら陸前高田で暮らす。
そんな未来の風景を、私も心から見てみたいと思っています。

最後に…

木村屋が100年という節目を迎えられたのは、地域のみなさん、そして離れていても陸前高田を想ってくださる多くの方々のおかげです。これからも、変わらず地域の中で、みなさんの暮らしに寄り添いながら、陸前高田を想う人たちと一緒に歩んでいきたいと思っています。

店舗情報
陸前高田市高田町字栃ヶ沢220-1
TEL:0192-55-2825
定休日:水曜日
※水曜日が祝日の場合は営業いたします
営業時間:平日10:00~18:30
     土日祝10:00~18:00
HP:https://www.okashitsukasa-kimuraya.com/kimuraya/